<1540>「生活姿の上で、一枚めくれる」

 限りの外にあってなるほど独自の声をさせていますよね、

 私は、きいた、もう一心に、そこから、溢れて溢れて来れば来るだけのを、、

 身体の限りできいていました、、

 おそらく、曖昧な、もうすぐ剥落するもので、まずまともに受け止めていたらば、分かる、

 分かるはずのものが最初期に、ぐらん、

 ぐらんと、、

 あたりまえに静かに打ちましたらば、

 そこで、騒ぎになって、ひとつひとつの粒の起こり、、

 呼吸をどうにも始めています、、

 あたしは身体の限りの外から声をひろって、現象風景をうまくつかまえていたのだと思います、、

 つかまえているところに、それぞれ、歩行という歩行も、生まれていたのだと思います、、

 

 生活姿が、剥がれ、、

 また一段と低いところで、呼吸の仕組みを探している、、

 マアタラシク、それぞれ、歩という歩が、踏みしめてゆくための、なにげない整備になる、、

 わたしはそうやって生活姿の下支えによってうまく流れているのだなあ、、

 なにと、なにと、、不思議なことでありはしませんか、

 懐かしくおもう、うまく剥落していくから、、

 必然的に、手は、ざいざいと探るような、動きであるでしょう、、

 そうしなければ、、ただ振れているだけではままならないこともいちいちにあることでしょう、、 

 その表情はただ一心、、

 的を外れてどこかに泳ぐ、

 それは、順番に声をきくことがあるからだ、、

 生きている、低音部分の、、

 揺らめきに囲まれて、

 どうしてもその場所のあたり、、

 

 眠りに眠りが重なり、、

 そこから破れて、

 どうもあらわになる、行き来の、、

 そこの糸のひきかた、、

 (これでは、身体は、無数に関係していて、あちこちから、無言の声という声を集めているので、さわがしいのかな、)

 はらなかへ、剥落し、変換され、、

 声になって、あたりまえに限りの外を行き渡るのを、

 ふつふつ、ふつふつと待っているのですね、、

 それで温度にさらされ、、しかし、無音となってこの場へあらわれている、エネルギーが押し上げて、ほうと息をついた、、

 ほうほうとまともに息をついた、、まま、

 そのままでいる、、ばりばりと風景のなかで鳴り、、

 これは、剥落したものに囲まれて、

 懐かしく、生きている人の姿なのだよね、

 と、、一段昔の声でささやいていた、、

 昔の声、、

 あなたがはなそうとしたことの全体、、

 うちさわぐ現在時の、なかへうまく包まれる、、

 その姿の、、

 きがきたら剥落して新たな肌をざいざいとさらすさままで見える、