<1541>「遠い日の燃焼さわぎ」

 なるほどそのような、複数線の興味深い成り立ちのなかに、、

 一枚の、上手く染みてく、、さまが、なにとも新しい、

 私はなにとも新しいそのような隙間を驚嘆とともに見つめていましたが、

 そこからほうけた姿をともにとりいだしてはうち眺める、、

 さてこれがその複数線を眺める仕方ですか、

 どうかしら、、

 訳というもの、今この場へあられても、、

 私は雲を摑むような芝居を打ちますので、、

 (ホウラ、浮かびやった、なあ、どう‐どう、どうれ、激しいやな、激しいやな、へへへい)

 それがさわぐということですか、しかし、

 さわぎのおさまった頃合いに、ひとつの腕が出てきて、

 冷静な所作を、あげていた、、

 そこに吹く風のいくらかほがらかであったこと、、

 を、

 まともに感得しながら、、

 その先端に身体を乗せてゆらゆらと遊んでいたのです、、

 時折その爆発の根というもの、根となるものもうまくその仕組みのなかに乗せていきながらですね、、

 身体を縦横に振ります、

 縦横に振るリズムの最中にいましたらば、、

 私がただ手合い、手合いの振るいに同調していき、、

 身体が見事に溢れてくる、、

 溢れてはまたほうけた像を上手く取り戻すというようで、

 そのさまをどう感得したまま、、

 刻みつけたことどもははげしい記憶をともなって、

 回転して、燃えている、、

 私がそのようにして燃えるなどとは初めて耳にすることだった、

 いかにも通路がいくついくつもあり、

 ワイテイル、ワイテイル、、

 なまの呼吸の下で、ひとり、わくのさ、

 

 身が、地方へ、

 ゆるやかにそのまま、知られて、知られて、

 全体を打つその表面の、なかに集まるのさ、、

 どうだろう、そのような呼吸を、いくついくつも見ていたのだとは思わないかい?

 私は、そっくり見ていたし、そっくり容れてもいたと思う、、

 ここいらべでガラガラと鳴る空間の仕方、

 をすっかり知っていたのだと思いますよ、、

 なにが、ここへ、激しさを作っているのか、それは、曖昧な仕方で、分かり、、

 とかくここいらべは燃焼しているのです、、

 遠い人の遠い日に、、

 同じ姿が鳴ってさわやいでいるのです、

 をそれながら見ましょう、、

 さわやいだ日の方を、なんのきなく、見ましょうか、、

 それという仕草も言葉のあたりも、連れて、

 まっすぐに見たらいい、、

 私が振れているから、

 振れて振れて、複数線になっているから、、

 複数線のまといのなかに、あたりまえにいて、

 呼吸を垂らす、、

 そもそこへはなやいで生活しているところなのだった、、