<1567>「無形の隙間から、長編時間が漏って来る」

 点の位置に、普通の、姿形で、立っています、、

 私は、これを、過去に見たことがあり、

 過去に、見たことがある以上、ぽっかりと、

 あたりまえに感じていました、

 無空間、付け足しのないように、実際の肌で、感じていたという、訳なのでした、、

 それが、今や、中心イメージ、、

 明らかに時間が経ったところ、

 明らかに遠方になったのに、、

 それは、中心イメージとしてのありかた、姿勢を、、

 まったく自然に身に付けているのでした、、

 

 種があり、、

 こぶが盛り上がる、

 そういう地点にいると、、なんのきなし、、

 なんとも言い表せで、ぼうと、

 ぼうぼうぼうやりと眺めているよりほかはありませんもの、

 それが、中心を占めてイメージを成すのだから、

 私はそのとき著しく無形、ただの吸収物質としてその流れの上を揺らいでいたに、違いないのだ、

 その流れを見てた、どんどん来るのだもの、

 どんどんハいで、どんどんあらわになって来るのだもの、、

 私は、点を持っていた、、

 あちこちに、あちこちの点を、持って、、

 すみやかにここへ移って来た、、

 あたしは、現在時を、無形として見、過ごす、、

 しかしこの無形のなかから点が漏れ、種が漏れ、、

 現在時から中心イメージが出来上がり、、

 無音を保っている、ほとんど動いていない、、

 ・・・、私は、呼吸の仕方かどうか、

 その漏れを、余すところなく感得することが出来る、

 なにの仕草もなく、、

 いや、無形の隙間から長編時間が漏って来る、ただそれだけのことではないかしら、、

 

 種からのびた青い時間をまともに吸い付けて、、

 はいた、一両日は全部が通る、

 すみやかな流れのなかの過ごし様、

 をあまりにまともに見つめていると、、

 なにだ、だれだ、だれが、ここへ、イメージを成した、、

 身体で鳴らずに、

 その細かい糸のひとつひとつに上手くかぶさってくる、

 中心イメージはいつだ、、

 だれが何をした、

 もちろん私は点であるに違いない、、

 点は二重になり、間接にもなっているだろうけれど、、

 私からであるに違いない、

 私の呼吸からであるに違いないもの、、

 それを、喜ぼうとか、、

 それを、ひとつひとつ探り出そうなどの、

 気持ちがないではない、ないではないが、

 肝心要のところは、、

 中心イメージの隙間に収まるまでに何を発していたか、

 あるところ、あすこで、時間が変わるには何故なのか、

 音がない、、

 私も生きているときに、時々音がないようだと思われた、、