<1585>「限りのなかへ入る日」

 あれは日に入った、、

 途轍もなく、日に、入って、、

 私に姿、作用を持ち、、

 だんだんに、だんだんに、迫っていくものとして、あった、、

 あれはそこにあった、、

 触れているとそこに出てくると思え、

 見えていた、なにかに、

 なにかに見えているとしたら、ここに、長くすみやかに映っているものとして、あった、、

 そこで、さわざわと、様々に、過ぎた、、

 過ぎたらば、生きた、、

 人と人の中で、生きたらば、、

 身体が増えてきた、

 うたいのそこから、、

 映り出し、すみやかに過ぎる、、

 過ぎたらば、呉れた、、

 

 隙間、様々、呼吸のすぐにでも通う仕方、、

 を持ち、、

 あたしは姿、どこまでもひらぎ、どこまでもゆけ、

 を持ち込む、、

 呼吸など、このような仕方で持ち込み、、

 揺れていかれるのを見たならば、

 揺れていかれましたわ、を、確かめるのならば、、

 私はその方にのびて、、

 だらり、だらりといくつもの日の在り方に、、

 すぐにでも染みていくことを思うものなのだ、、

 私はそこに円を形作り、

 その仕草で生きるけれども、、

 もとより、それも隙間、

 幾声、幾声をも掛けているところへ、

 そのままにより、

 そのままに跳ね上がる、、

 混じりのない姿をしているものとも言えた、

 とかを、

 

 はたはたとし、その向こうで、、

 いわれ、いくつもの姿で言われ、、

 限りのない回転を、

 限りのない隙間に映し続けているとも言われうる、、

 のを、、

 どこや、どこから、あなたの手のさわぎ、、

 あなたの姿のさわぎで、、

 いくつも身体に付けている、

 いくつもその表情のなかざまに付けている、

 のを、、

 不思議そうに、眺めている時間が、ありました、、

 時間の中で、肌に手を当て、

 そのものの姿を言い、、

 あ、なにかと、、このままで当たるのだ、自由に、、

 ここから、自由に過ぎていて、

 当たるのだ、そのなかを生きたら、、

 そのなかを身体とともに生きたらば、

 いい、いく方面へも当たるなば、、

 面がひらいて、

 それはそのさま、ままで、全てが呼吸のなかへ・・・、