さまはまたさまでそれぞれのところへ、、
ありえた様子で、当たり前に浮かび、、
当たり前に伝ってくるものと、見え、、
動きながら、
それぞれ、方向へ伝っていくのを、、
そこに立ち、そこに過ごすのと、、
風の粒も、陽の端も、徐々に溜まって来て、、
そのまま空間へ、あたためられているのだった、
わ、と、一声がほうれて、
あとはただ繰る、繰る、幾度も繰る、、
ほうられたものもその一団のなかの粒、、
手がそれを時折かきまして、ほぐしていた、、
あたしは日の中にいたのに、、
次々それは印象になれ、音から去り、浮かび、、
いまなおどこかを揺れて動いている、、
あらたまった場所に、
あらたまって動いている、、
時々その発露、、私がちょうど同じ速度でそこへ振り向いたとき、、
当たり前のようにひらかれていて、、
そこから誘う、、
あれはあり得た場所で、、
いくども、いくども巡り合わせながら、、
理の必然、
暫時そこに渡しておれる、、
そのものを見ていなさい明らかだから、、
環境の通路、
各所への渡し方、、
いまそれぞれに見ているに違いがないことどもなどを、、
流れて、眺めて、、
緩やかになりながら、いる、、
そこには、そこに、いる世界、、
身体などいつぞやに含まれて、
全身に流れが伝えられている現在の、
なかにいるもののひとつの声、、
あ、受けたもの、、
どうして、どうして、、さわざわとよくものが吹く場所につながってそうしてそのように、、
溢れていくものというのが、あり得るのだろう、、
同じように、そこへ、、
同じように、存在を渡しながら、、
ごつごつとした響きのぶつかり合いのさいちゅうに、、
生きているのだろう、、
環境音のさわりかた、、
私は皮膚を持っていて、
それぞれに、なに、生のままで、
当たり続けていると思えた、、
誰かれに、そう、、ふやけて、
いろの手を当ててそれを続けていると、、
おなじ方向、おなじ姿で、、
確かめられてくる、
なにとなにという不思議なしざまだろう、、
私の肌は音のなかにいて、
粒から粒からを集めている・・・、