<1633>「粒の陽あたり」

 さまはまたさまでそれぞれのところへ、、

 ありえた様子で、当たり前に浮かび、、

 当たり前に伝ってくるものと、見え、、

 動きながら、

 それぞれ、方向へ伝っていくのを、、

 そこに立ち、そこに過ごすのと、、

 風の粒も、陽の端も、徐々に溜まって来て、、

 そのまま空間へ、あたためられているのだった、

 わ、と、一声がほうれて、

 あとはただ繰る、繰る、幾度も繰る、、

 ほうられたものもその一団のなかの粒、、

 手がそれを時折かきまして、ほぐしていた、、

 

 あたしは日の中にいたのに、、

 次々それは印象になれ、音から去り、浮かび、、

 いまなおどこかを揺れて動いている、、

 あらたまった場所に、

 あらたまって動いている、、

 時々その発露、、私がちょうど同じ速度でそこへ振り向いたとき、、

 当たり前のようにひらかれていて、、

 そこから誘う、、

 あれはあり得た場所で、、

 いくども、いくども巡り合わせながら、、

 理の必然、

 暫時そこに渡しておれる、、

 そのものを見ていなさい明らかだから、、

 環境の通路、

 各所への渡し方、、

 いまそれぞれに見ているに違いがないことどもなどを、、

 流れて、眺めて、、

 緩やかになりながら、いる、、

 そこには、そこに、いる世界、、

 身体などいつぞやに含まれて、

 全身に流れが伝えられている現在の、

 なかにいるもののひとつの声、、

 

 あ、受けたもの、、

 どうして、どうして、、さわざわとよくものが吹く場所につながってそうしてそのように、、

 溢れていくものというのが、あり得るのだろう、、 

 同じように、そこへ、、

 同じように、存在を渡しながら、、

 ごつごつとした響きのぶつかり合いのさいちゅうに、、

 生きているのだろう、、

 環境音のさわりかた、、

 私は皮膚を持っていて、

 それぞれに、なに、生のままで、

 当たり続けていると思えた、、

 誰かれに、そう、、ふやけて、

 いろの手を当ててそれを続けていると、、

 おなじ方向、おなじ姿で、、

 確かめられてくる、

 なにとなにという不思議なしざまだろう、、

 私の肌は音のなかにいて、

 粒から粒からを集めている・・・、