<1664>「毒」

 例えば、あたしは、長い時間、授業の際に、伏せっていたんです、、

 それが、そのさいの振舞いの、一秒、一秒ごとが、情報になる、ということは、知らずにです。

 ただ単に眠いから、という以上のことはないですよね、

 それが、情報になる、ということは、立場が反対になってみなければ分からないことだった。

 高校生の頃の自分というものに、よく出会い、その毒を受けるようなことが増えてきた。

 どういう毒か、毒とは何かというと。

 皆が一堂に会する形で、その教えを受けているなどという状況は、まるでつまらないと思っていた過去のあたしがいること、

 学ぶということが、面白く自分の中で生き始めてきたのは、提供物こそあれ、能動的にそこへ関わり、スケジュールも、自分で管理するようになってからだということ、

「自らすすんで行うというのはなんと楽しいことだろうか」

と。

 現実の場所や、そこに参加してくる人たちの誰も悪くはないのです。

 ただ私は私自身の毒に、毒の跳ね返りに当たっている。

 この状況をどうするか。

 毒を感じていないと考えて振舞うのは無理なことです。

 しからば、その、面白く生きてくる状況というのを、提供し、サポートする形を取れたら良いのでしょう。

 やることはいくつかあると思いますので、それをひとつひとつ、ということになりましょうか。

 そんな形で、毒を上手く、いえ、上手くじゃないですね、スローテンポでも、粘りでも、なにでも、消化していくということに尽きるのでしょうか。