<1727>「ここから先が零だと思うこと」

 どこからか遠く隔たってきている、

 

 例えば、何かひとつの学校などから卒業し、

 そこがそれなりに充実した時間であったとか、なかったとかにあまり関係がなく、

 「ここまでの時間が全てで、ここからの時間は零だ」

 とさびしい気持ちの中で感じることがある、

 確かにその時点ではまだ先の時間は作られていない訳だから実感としてはある意味正しいのだけれど、

 

 ああ何もないなこの先には、

 と思いながら生きていて、

 ある程度時間が経つと、

 零であったと思ったところにはまた何がしかのものが出来上がっている、

 だからここから先はない訳ではなかったのだけれども、

 今、静かに座っているときの、

 何もないという感じはなんだろう、

 そして新たに、現在に大きなことが起こったときに、

 音が止まって、

 この出来事を上手くとらえられているのかとらえられていないのか不思議に思うのは、、

 

 年を重ねたなりのくたびれかたというものもあるのだろうか、

 というのも、

 過去だけがあって、

 現在はない、

 それは今まさに生起するひとつずつの点だ、

 と感じるときの、くたびれ感、というかけだるさは、

 もう小学生ぐらいから、

 これとおんなじものを持っていたような、気がするからだ、

 身体のなかに、体力も、けだるさもあって、

 それで体力があれば、けだるさはどこかに行く訳ではないとも感じている、、

 

 日々のなかに幾度も生まれて、

 零のなかに目をアけて、、

 と、これは、暗いことでもなんでもなく、、

 例えば動物もけだるそうにする、

 けだるさって何ですかね、、

 本当に瞬間に生きていて、

 諸々、動き出す、、

 私が日の中へ徐々に流れ出す、

 その匂いを、

 当人は感知せないのだけれども、

 結局それはまた同等の過去になり、

 私が浮かんでいくのも可能になるのだから、、

 現在時のけだるさとともに、また、

 生まれ続けていけばいいのだと思う、、

 

 現在を本当に瞬間だと感じていることの、ひとつの例になるかは分からないが、

 今いる場所、今通っているところに、

 事実は結果的にそうでなくとも、なにか、

 一生居ると思っているようなところがある、、

 そういえばあの一生居るはずだった場所は今どうなっているのだろう・・・、