<1760>「手は一日の中に」

 そのまま風に含まれて、

 あたしはどこを指すものか、は、はっきり、分かられないまま、

 粒で来た、、

 ここから、歩みをして、、

 香の中へ、

 不在の雰囲気のなかへ、

 ひとつひとつ入るのは誰、

 ひとつひとつ入るのに合わせて、、

 私は、一体、どこから声を出すのか、

 はて、はて、探り、、

 その手くせのなか、

 あたしが長い日付、時日とともに生まれて、、

 その場所を仰ぐ、

 その場所を次々にさわりながらだ・・・

 

 一日はここの、手の中に全てあると述べたもの、、

 あの声の隙間に、次々と参じようとする、

 私は、どこか頼りない姿で生まれて、

 一日のなかで爆発する、、

 一日のなかでいとも簡単に死んでなくなるものでした、、

 糸、筋はない、、

 あたしはそこでほつれ、、

 新たにたどるものとは、なに、

 高速度でどこかへ移る訳ではない、

 私は空気を含み、

 ここへ少しずつこぼれる・・・

 声はどこ、

 いまやそこやとあちこちに響いてわたる、過ぎて、、

 だんだらと温度、

 だんだらと不在の壁が、、

 仕事をし、編む、、

 今そこに、身体を見せ、仕事をするのを、はっきり、

 見せているのに、私は出会う、、

 

 なにだ、私は、不透明な膜のなかに、声を揃え、

 そこから順番におりてゆきました、、

 次の一歩がなければ、遠方は無い、

 という、当たり前の事実と、静かに調和しているとき、

 私は健康だと言う、、

 健康ではないか、たくみなひとひ、、

 私はひとひのなかの声にあたろう、

 これは無限に華やぐ道、

 しかも沈黙した、、

 時間のことが静かに知られる道、、

 私は、はてを眺む、

 私は、はてからはてへ、渡ろうとする、、

 この現在の、粒を、

 静かに行こうとするものは誰なのだ、、

 私は小さい、、

 小さいものが、そこ、ひとひから、はみ出そうとする流れを、あたりまえに感得し、

 私も、その言いにそのまま応え、

 絶えず、一方で、一文字に帰ろうとする、、

 だんだら、だんだら、、

 声は知らぬ、、私は、沈思して掘る人に繋がる・・・