<1823>「点を、道にする」

 私はその手のなかに静かな時間が握られていることを信じるものです、

 だから、陽に当たり、

 そのままでのび、、

 まったく動きも何もなくなって、

 まっすぐにそこへ立っている時間のことを、ひとつ思うのです、、

 私はなにげなくここまでのびてきて、

 なにともなく帰る、

 道行きのなかであなたの存在が漏れ、、

 今にたしかに歩くものおとの仲間になっていました、、

 そこで私は呼吸と、風景とをひとつ交換し、、

 記憶のなかで流れることを望みます、

 

 あたしが現場だと思っていたことは、

 その後も現場であることに変わりはありませんが、、

 私が見ていたことは、

 私が見ていたことでしかないので、、

 粒になって、ここにあるのだな、と驚いています、、

 おそろしい勢いで人を容れようとする、

 おそろしい勢いで人を容れなくしようとする、、

 なにか私の表情というものの、

 閉じていきかたを見ようとするも、

 そんなものは見たところでどうという訳もないだろうと思う、、

 静かに払い、、

 私は歩く、

 ものが育つ、

 それも、目には見えない速度で、

 その遅さで、育つ、、

 私は新しい皮膚を迎え、、

 この気のなかに紛るものが静かに育つまでここで待つ、、

 なにとなにとここにいる、、

 その揺るぎのなかで日々を振るえば、、

 あなたが見えて来、、

 私はそのしびれのなかで歩いて帰って来る、、

 

 私の記憶のなかの一点にあり、

 線を失っているため、どこからどこへ辿れば良いのかが分からなくなっている場所、

 そういう場所があり、、

 当たり前に行きたいと願っているところが、

 それをあなたに今言ったところで、

 それをあなたが全く知らないというのは、どういう訳だろう、

 当たり前だけれども、

 ひょっとすると、あなたにそういう場所はないのでしょうか、、

 楽しく話している時間も、

 どこかで区切りをつけて、まあまた今度さようならといって、

 別々に帰らなければならないのはさびしいですけれども、

 別れた瞬間から、

 全くさきほどとは違う現実が、

 ひとりの現実があらわれるあの劇的な、

 あの静かなしかし劇的な場面が嫌いではありません、

 前は嫌な仕事でここへ来たのだった、

 という記憶がある駅もありますね、

 だから普通ならば来たくもないと思うところでしょうけれども、

 今日はその駅へ来て、まったく嫌な仕事には関係なく、

 自由にその場所を、また別の現実として歩いているときの気分は、どうでしょう、