<1881>「零からさらに遅れて」

 その等しい手に触れて、、

 私は驚くことがあった、

 なぜいまここからひとつのものだけを上昇させて行く必要があるのか、

 まるで分からない、

 そうだ、まるで分からないと思った、

 選ばれては困る、

 とにかく、選ばれては困る、という意識と、、

 重たい鉛のような時刻があった、、

 そのあとの日常というものは、

 あっけなく、からりとしたものだから、、

 あたしは零から、

 その、あっけないところから常に始めたいと思っている、、

 

 アタシハヒトビトノイチバンアトヲイキマス、、

 鈍だ、

 遅さの問題だ、、

 こういうことを言う人というのがあって、、

 それはさすがだな、というか、

 据わり方、、

 並ではないことだと思う、、

 私は一番後ろを行けているかどうかは定かではないけれど、

 遅いというのは大切なことなのだろうという気がしている、、

 人間は遅い、

 まず足が遅い、、

 しかし遅い速度でどこまでもじわじわと先に行く能がある、

 育つのが遅い、、

 ここに遅さを持つことによってじわじわと脳を育てることが出来る、

 ?

 そうなのかどうかそれはよく分からないが、、

 気持ちとか精神とかいうことが大事であることは分かる、、

 だが精神論は分からない、

 論なら論でその体裁は整えましょうや、

 筋道はきちんと理論で立てましょうや、

 それを 見えない場所で、

 別のところから静かに支えているのが精神の役割ではないでしょうか、

 論と一緒にしたらいけないと思う気持ちがあります、

 

 なにかのために出てきた訳ではないものに対して、、

 一体これは何のためという問いを、

 その立てたくなる気持ちは分かるけど、

 立てていったら上手く行かなくなるのは自明なので、、

 なにもないところから、

 あちらこちらへずれて、

 重なって、、

 ほぐして、、

 また煙になって帰ってなくなったと思ったあとに、

 なにか零であったはずのものの、

 影響が目に見えたり見えなかったりするところで残る、

 それがどうということもなければ、、

 びっくりするほど多大だったりする、、

 それはそれとして一日は粒である、

 意識は無限である、、

 というところで、なにか揺らめいているもの、、

 探る探るこの手の動きだ、、

 なにかを掴むためとかそういうことはよく探る手の動き自体が生きているだ、と思う、、